文永11年(1264 年)に願行上人が鋳造。
本堂に鎮座するそのお姿の迫力ある威圧感と重量感には眼を見張るものがあり、 願行上人の強烈な念力に圧倒されます。
鎌倉時代より多くの武将、庶民がその御利益を賜ろうと参拝したのもうなずけます。
不動明王は心をこめて参拝する人々に、わけ隔てなく現世の悩み,苦難を助けてくださる仏様なので、本堂にて一心に願い事を祈ってください。
毎月8・18・28日がご開帳日となっています。
大山不動明王及び二童子像は鎌倉時代に鎌倉大楽寺の願行上人によって造られた。その霊力の強さと 御利益の大きさに時の将軍家はもとより、関東一円の武士や庶民に広く信仰された。
江戸時代には春日野局が家光が将軍になることを大山不動に祈願してその願いがかなったことから、 徳川家光によって強く信仰されることとなり大山寺にも数々の寄進や、造営がおこなわれた。
明治初期の廃仏による災難にも奇跡的に破壊を免れたのは、其の御利益を受けた多くの人々がまさに 死に物狂いで像をお守りしたからだといわれている。
また里さとに伝わる伝承によると、権田直助にひきいられた暴徒たちがこのお不動様を破壊しようと 本堂におしかけたところ、お不動様の形相がまさに血も凍るような恐ろしい形相に一変していたため、
余りの恐ろしさにだれひとり手を触れることができなかったため、破壊をまぬがれたとのことである。
また周辺の主だった寺院が数十年以上にわたって活動できなかったのに比べ、大山寺のみ異例に早く 再建が許されたのは、このお不動様に救われた多くの信者たちの要望が強かったのみならず、大山寺の破壊に加担した者たちがそのときの恐怖心の強さから、一刻も早くお不動様の怒りを静めてほしいためまったく妨害活動をしなかったからだともいわれています。
現在大山寺が存続し、多くの信者がお参りしたり、護摩祈祷をお願いできるのはまさにこのお不動様のおかげといえるでしょう。 |